
迎えた、引越しトラックの日。
その日、私は前の住居での家財搬出を婚約者に任せ、1人で新居である「物件A」に来て、業者トラックの到着を待っていまいした。
まだ家具も何もない、がらんとした部屋。
やることもないので、のんびり掃除機をかけていると――
「……ドンッ」
「……ドンッ」
「……ドンッ!」
また、あの音です。
▼不自然に続く、謎の打撃音。

入居初日から時折聞こえてくる、あの鈍い打撃音。
「けっこう生活音が響く物件なのかな?」
「自分たちも気を付けないとなぁ」
その時の私は、その程度にしか思っていませんでした。
しかし―――
数秒おきに、ドンッ…ドンッ……と。
ずっと。
本当にずぅっっっと、聞こえてくる。
さすがに1時間近く経った頃には、
「……いや、長くない?」
「ずっと扉を開け閉めしてる状況ってある?」
と、不思議に思い始めました。
掃除機を止め、広い空っぽの部屋に1人。
天井の向こうから聞こえてくるその音は、これまでよりもハッキリと静かな新居に響き渡ります。
ただ、それでも私は、
「まあ1階だし、上の生活音が響きやすいのかも」
「家族が多いとか、元気なお子さんでもいるのかな?」
と、変わらず図太いポジティブ思考を発動。
まあ過去には、
昼夜問わずギターソロコンサートを開催する隣人(※楽器禁止物件でねw)
と遭遇したこともある。
上階のどこかから「ドンッ」という音が聞こえ続けるくらい、可愛いもんだ。
――この時はまだ、そう思っていました。(後に、全然可愛いレベルではなくなるんで…)
▼確信に近づく”違和感”の正体。
やがて引っ越し屋さんのトラックが到着し、彼とも合流。
業者さんと一緒に慌ただしく荷物の搬入作業が始まりました。
その間も「ドンッ」という音は、相変わらず聞こえていたけど、しかしこっちも引っ越しの真っ最中である。それどころではない。
やがて搬入も終わり、夕方。
早めの夕食をウバりながら、休憩しつつ2人でのんびり段ボールの開封作業。
そして、”ご近所挨拶”の話になりました。
差し迫った引越しだったため、事前の挨拶はまだできていなかったのです。
すると、ふと彼がこんなひと言―――

そういえば、真上の階の人……ちょっと変じゃない?
…………え? と。
私は思わず顔を上げました。
「実は、初日から気になってたんだけどさ…」と、彼が話し始めました。
彼によると、鍵を受け取って初めて掃除に来た日から、上の階の様子に違和感を覚えていたらしく。
時折聞こえる「ドンッドンッ」という、断続的な謎の打撃音。
そして――
こちらが物音を立てた後、数秒してから「ドンッ!」という音が返ってくる…――― 気がする。
最初は気のせいだと思った。
でも、あまりにも毎回タイミングが正確すぎる。
もしかすると、これは上の住人が意図的に音を出しているんじゃないか。
……とのことでした。
▼故意?それとも偶然?
いやいやいや。
まさか。
でも確かに?
私も今日1人で待っていた時、「なんか上の音、変だなぁ」くらいには思っていたが。
ところが、人には正常性バイアスというものがあります。
異常な状況に遭遇しても「いや、まさかね」「きっと気のせい」と、
自分の置かれた状況を、正常なものとして考えようとするものです。
そして私も例外ではなく、

いや~、気のせいじゃない?
家族が多いとか、子供が元気とか……(ゴニョゴニョ)
と、なかなかすぐには信じられません。
そんなことを言っていた私に、「じゃあ、ちょっと見てて」と彼が立ち上がりました。

和室の押し入れの前に行き、襖に手をかける彼。

試しに開け閉めしてみるから、よく聞いててね…
そう言って、彼は襖をそっと開け、そして――
………トン。
と、静かに戸を閉めた。
決して、大きな音ではありません。
むしろ、かなり優しくそおっと、優しく閉めたくらいです。
2人とも、しばし耳を澄ます。
……
……
……すると。
5秒ほど後に。
「ドンッ!!」
天井から、鈍い衝撃音が返ってきたのです。
▼呼応する打撃音

―――え。
――――――え?
エッ ( ゚Д゚)。。。
……
ちょっ、待っ…。
今の、偶然じゃない、よね?
思わず2人で顔を見合わせました。
世間一般と比べれば、わりと引っ越し回数は多い方だと自負している私。
今回で5度目の引越しです。
その中で、今までもいろんな珍物件に遭遇してきました。
でも、日常生活音に対して故意に音を返してくる住人は、さすがに会ったことがなかった…。
しかも、この物件はそう…
天下のRC造。
防音性に定評のある、鉄筋コンクリート様である。
実際、他の部屋からの生活音はほとんど聞こえてきません。
多少聞こえてきたとしても常識の範疇レベルの微々たる音くらいで、
家の前の道路を走る車の音や、外で遊ぶ子供たちの声くらいは聞こえるけど
他住人の話し声や生活音は、ほぼ聞こえないに等しい…
―――この「ドンッ」という音以外には。
だからこそ、この違和感は「気にしすぎ」というには、あまりにも不自然だったのです。
住み始めて、0日目。
早くも私たちの間に、不穏な空気が漂い始めました。
▼張り詰めた空気の中での、引っ越し作業…
その後1週間ほどは、旧居と物件Aを行き来する生活が続きました。
――旧住居に残した細かい荷物の片づけ。
――退去前の自主清掃。
――仕事や日常生活と並行しての、段ボール開封作業…。
彼はこの時期、転職直後でもあったので、余計にお互い慌ただしい毎日でした。
さらに、前回の記事でも少し触れた通り、物件そのものにも多数の不具合が発覚。
忙しい合間を縫って、大家さんと連絡を取りながら修理業者を手配する日々…
そんな中で、私たちは少しずつ、この上階からの不審音にある”いくつかの傾向”に気付きます。
① 昼夜を問わず、突然「ドンッ!」という音が断続的に聞こえる。
② こちらが物音を立てた時は、ほぼ確実に5~10秒以内に打撃音が返ってくる。
③ 音は壁を叩くような、または思い切り戸を閉めた時のような鈍い衝撃音。
④ 「ドンッ」が1回の時もあれば、「ドンッ……ドンッ」と2回以上続く時もある。
それでも、この時点ではまだこれが故意だと断定はしていませんでした。
ただ、可能性の一つとしてもしかしたら…
上の人もこちらの音を気にしているのかもしれない。
そう思った私たちは、
「とりあえず、こっちはできるだけ静かに生活しよう…」
と話し合い、生活音に対してかなり注意を払いながら、ひっそりと引っ越し作業を進めることにしました。

足音を立てないよう、そろりそろりと忍び足。
家具の設置も慎重に、ゆっくりと。
どうしても音が出そうな作業は昼間だけ、短時間で。
そして夜になれば、細々とした静かな作業へ切り替える…。
当然、いつもの引っ越しよりずっと時間がかかります。
それでも何とか、1週間。
私たちは、まだ終わらない段ボールの山を横目に――
ついに、ご近所への引っ越し挨拶に向かいます。
〈次回予告〉第3話は…

その日は、いわゆる週末。
挨拶用の手土産を用意して。
ちょうど近所に住む両親も、様子見がてら手伝いに来てくれていました。
この時の私は、まだ知りませんでした。
これから向かう「引っ越し挨拶」が この騒音トラブルの日々の中でも、今でも鮮明に思い出せるほど 忘れられない出来事になることを……

